主婦のどさ回り〜柴又編〜

持ち物の生前整理と、下町暮らしと読書日記

これもやめる、あれもやめる

こういうブログを書く上で気をつけなければいけないのは、『物減らし競争』にならないようにするということかもしれない。

断捨離という言葉がこれほどまで世の中に浸透してから、巷には片付ける、すっきり暮らす、捨てる、もたないといったテーマの本が出ては消え出ては消えしている。
かく言う私も一通りそういう本を読んできて、そのつど取捨選択を迫られてきた。目新しい方法を提案するものは、その新鮮さからどうしてもより良く見えてしまいがちだ。それこそが出版社の思う壺なのだろう。
情報量が多いことは思考を混乱させ、ある意味部屋の整理整頓よりことをややこしくするのではないかと思ったりもした。

結論として物を減らすにも片付けるにも、その人その人の事情にぴったりあったやり方を見つけるのが最優先事項なのだ。
家族構成や住環境によって、人の持つ物は大きく異なる。


ミニマリストのブログを見て興味深くはあるけれど、インプットとアウトプットが盛んな世代の子供を抱える我が家ではこのような生活は現実的ではない。見習いたい部分だけを参考にしたり、潔くなにもない部屋の写真を見てモチベーションを上げたりするには最適だ。

とはいえ子供たちに将来独り立ちするにあたって物に向き合うことを常に意識させなければとは考えている。
彼らは自然と新しいゲームや本を買うときは古い物を売るなり捨てるなりしてから、遊びきっていなければ新しいゲームは買わないなどのルールを自分で作るようになっていた。最近ではむしろ『テレビを捨てるべきではないのか』と提案してくるあたりが恐ろしい。

子供が成長するにつれ、手放すことのできたものも多かった。
おもちゃは殆ど譲渡するか廃棄するかして、子供のための製菓道具や子供服の型紙、端切れなどもどんどん手放していった。中・高生ともなると親の手作りの服など着はしないし、小腹が空けばお菓子よりも冷凍うどんを好む。
服を縫ったりお菓子やパンを焼いたりというのも、自己満足というか子育ての楽しみの一つのようなものであったから、きちんと学校で学んで技術を習得したものでもないし、当然プロのような腕前ではない。
なんでも手作りすれば経済的という向きもあるけれど、道具を揃え時間をかけ、出来上がったものの完成度は素人の域を出ないことを考えると、そうとも言えないのが現実だ。
そしてちょっと足を伸ばせばパリの有名なブーランジェリーのクロワッサンがいつでも手軽に買えて、間違いなくそちらの方が美味しい。
夫の仕事上とんでもなく辺鄙な場所の社宅に住むこともあろうが、Amazonだの楽天だのが有る限り大丈夫だ。

これもやめて、あれもやめてと決めて行ったら、その事にまつわるものたちを処分することができた。今のところ後悔はない。一番大事なのは思考と心の整理なのだと思う。

これからも続けたいことは絵を描くことと、英語を勉強すること。どちらもiPhoneひとつあればなんとかできてしまう。便利な世の中になった。

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