主婦のどさ回り〜柴又編〜

持ち物の生前整理と、下町暮らしと読書日記

捨てるもの⑤

豪雨が去り、晴れたバルコニーを片付けた。
引き続き細々としたものを捨てる。

電気スタンド。
柄が微妙なもらいもののハンカチ。
ほとんど出番のなかったスカーフ。
中途半端に溶けた香り付きのキャンドル。
ビューラーもコンパクトなものに変えたので、替えゴムと共に捨てた。

f:id:lemurfrog:20150918090714j:image
f:id:lemurfrog:20150918090655j:image
f:id:lemurfrog:20150918090750j:image

今は安価でデザインも機能も優れているものが多く売っているから、小さなものやより素敵なものに買い換えるのもいいだろう。
捨てる時、なぜ捨てるのはこんなに大変なのかと思う。
使い切れずに捨ててしまうことへの後ろめたさもある。
小さなものだったり、擦り切れるまで使い切ったものであったら、捨てる作業ももっと捗るのに。




これもやめる、あれもやめる

こういうブログを書く上で気をつけなければいけないのは、『物減らし競争』にならないようにするということかもしれない。

断捨離という言葉がこれほどまで世の中に浸透してから、巷には片付ける、すっきり暮らす、捨てる、もたないといったテーマの本が出ては消え出ては消えしている。
かく言う私も一通りそういう本を読んできて、そのつど取捨選択を迫られてきた。目新しい方法を提案するものは、その新鮮さからどうしてもより良く見えてしまいがちだ。それこそが出版社の思う壺なのだろう。
情報量が多いことは思考を混乱させ、ある意味部屋の整理整頓よりことをややこしくするのではないかと思ったりもした。

結論として物を減らすにも片付けるにも、その人その人の事情にぴったりあったやり方を見つけるのが最優先事項なのだ。
家族構成や住環境によって、人の持つ物は大きく異なる。


ミニマリストのブログを見て興味深くはあるけれど、インプットとアウトプットが盛んな世代の子供を抱える我が家ではこのような生活は現実的ではない。見習いたい部分だけを参考にしたり、潔くなにもない部屋の写真を見てモチベーションを上げたりするには最適だ。

とはいえ子供たちに将来独り立ちするにあたって物に向き合うことを常に意識させなければとは考えている。
彼らは自然と新しいゲームや本を買うときは古い物を売るなり捨てるなりしてから、遊びきっていなければ新しいゲームは買わないなどのルールを自分で作るようになっていた。最近ではむしろ『テレビを捨てるべきではないのか』と提案してくるあたりが恐ろしい。

子供が成長するにつれ、手放すことのできたものも多かった。
おもちゃは殆ど譲渡するか廃棄するかして、子供のための製菓道具や子供服の型紙、端切れなどもどんどん手放していった。中・高生ともなると親の手作りの服など着はしないし、小腹が空けばお菓子よりも冷凍うどんを好む。
服を縫ったりお菓子やパンを焼いたりというのも、自己満足というか子育ての楽しみの一つのようなものであったから、きちんと学校で学んで技術を習得したものでもないし、当然プロのような腕前ではない。
なんでも手作りすれば経済的という向きもあるけれど、道具を揃え時間をかけ、出来上がったものの完成度は素人の域を出ないことを考えると、そうとも言えないのが現実だ。
そしてちょっと足を伸ばせばパリの有名なブーランジェリーのクロワッサンがいつでも手軽に買えて、間違いなくそちらの方が美味しい。
夫の仕事上とんでもなく辺鄙な場所の社宅に住むこともあろうが、Amazonだの楽天だのが有る限り大丈夫だ。

これもやめて、あれもやめてと決めて行ったら、その事にまつわるものたちを処分することができた。今のところ後悔はない。一番大事なのは思考と心の整理なのだと思う。

これからも続けたいことは絵を描くことと、英語を勉強すること。どちらもiPhoneひとつあればなんとかできてしまう。便利な世の中になった。

f:id:lemurfrog:20150912141520j:image

レンタル屋でジャンルで迷う


現実逃避したい時、主婦はDVDを借りに行く事がある。
恋愛ものの映画を見てやろうと思う。
笑えて泣けて最終的にはハッピーエンドでスカッと爽やかなやつがいい。
そもそもハリウッド映画には大なり小なり恋愛要素はつきもので、アクション大作はドカーン!悪は滅びた!アメリカ様の勝利だぜヒャッハー!ヒーローとヒロインが衆人環視の中でブッチュウ!なので恋愛映画と言えなくもないのだが、そういうのではなくて恋愛をクローズアップしたちゃんとした恋愛映画を主婦は見たいのだ。ところが笑える恋愛映画はコメディに、泣ける恋愛映画はヒューマンドラマの棚にあったりもする。官能サスペンスが恋愛映画の棚に配置されていることもあるので気をつけなければいけない。いったいあれのジャンル分けは誰が決めているのか。
そして恋愛映画ではたまに地雷を踏むことがある。


f:id:lemurfrog:20150908101616j:image

古今の鑑賞後うわあ、となる映画にまつわるエッセイ。
トラウマになるという事は、それだけインパクトがあるとか、作品に突出した何かがあるという事でもある。一概にいやーな映画を集めてみましたということにはあたらない。
かなり詳しく粗筋も書いてあるのだが、既に観たものも、観てみようと思ったものもあって楽しめた。

因みに私のトラウマ恋愛映画は『日蔭のふたり』。
何があっても二度と観ない。観ないよ。






小さいふ



ちいさいふ、と読む。
ある時カードだらけの子豚のような財布に嫌気がさして、一度財布をコンパクトにしてみようと思った。

f:id:lemurfrog:20150902114203j:image

クアトロガッツの小さいふ。
色はもちろん漢らしく黒だ。


東京駅の大丸内東急ハンズで購入したもの。
ほんとうにコンパクトで、ポケットにすっぽり。
スマホと家の鍵とこれで、ちょっとした買い物は手ぶらで出掛けられる。

f:id:lemurfrog:20150902114402j:image

ボタンを一つ開けると小銭が。

f:id:lemurfrog:20150902114558j:image

さらにあけると、札入れとカードが。
カードはSuicaとか、出かける場所に応じて入れ替えている。
6枚は入る。
当然レシートを溜め込む隙はない。

サイトから購入すると、鳩目穴も開けてくれる。次に買う時は開けてもらおうと思う。鍵とか、防犯用のワイヤをつけてもいい。

難点はお札が6〜7枚ほどしか入らないことと、お札のへりが1センチほど折れてしまうことだ。それでも小さな財布の快適さには変えられない。


善後策として、高城剛氏が本に載せていたのに倣い、高額紙幣はこれとは別にアルミの焼き海苔が入っていたパックにしまってバッグに入れている。このブログを書いているのは上島珈琲で、アルミの焼き海苔パックを出すのはとても無理なので写真はご容赦ください。
間違えて捨てなければ、主婦がしぶいおやつを持ち歩いているように見え防犯上はいい感じだと思う。







化粧品スマート化作戦

学生の頃から30代の終わりまで、常に大量の化粧品を所持していた(当社比)。
それでも他の奥様方に比べれば少ない方であったように思う。
今はこんな感じ。


f:id:lemurfrog:20150830091905j:image


相変わらず写真の技術が向上しなくてすみません。
まだまだ改善の余地あり。
しかし、使っているものをわざわざ捨てる必要はないので。
そのうち削減しようと思っているのはチークとチーク用ブラシ。
血色タイプの頬紅と口紅を兼用できるものが売られているので、それを導入する予定。
アイブロウパウダーについても、無印良品のペンタイプのものに変えようかと考えている。
ミネラルファンデーションは夫の会社の奥様から教えて貰ったもの。カバー力もこのタイプにしては申し分なく、夕方まで化粧直しがいらない。肌に負担がかからないのもいいところ。石鹸で簡単に落とせるので、洗面所のメイク落としを捨てた。




容量オーバー

まだ若かったころ、と言っても結婚してからの話なのだが、びっくりするようなオンボロの社宅に住んでいた。
工業地帯にほど近い、当時でさえ築40年は軽く越しているような団地。

間取りが狭く、普通に家具を置くことができない。必然的に色々なものを諦め、捨てることとなった。
家というハコが小さければ、それに見合う持ちもので暮らさなければならない。

皆一様に狭い社宅に住んでいるものだから、持ち物をどう収納するかということが自然に話題になる。

台所が狭すぎて、食器棚どころか調理器具も満足に置けない。夫の立場上将来的には来客も多くなるので、食器を処分することもできないからと、6畳の畳の上に食器棚を据えたという人もいた。

その頃には嫁入り道具の食器棚をさっさと手放してしまっていた私はそんなものだろうか、と一抹の不安を覚えたのだが、杞憂に終わった。今に至るまで来客用の食器で困ったことはない。そもそも普段の生活も来客のために家財を用意しているわけではないので、同じ理由で客用布団も早々に処分した。多くても年に数回しか宿泊までする客はないだろうし、それなら貸し布団を利用すれば済むことだ。

むしろ来客があったら、来客のためにと多からぬ収納スペースを割くことができる人は大変慈悲ぶかいのだろうと思う。
私は無慈悲な人間なので、家族の持ち物をなんとかしまいこんで、それ以外の居住スペースを圧迫するものは容赦なく捨てていく他はないと思っている。

捨てるもの④

捨てると片付けるは別々にした方がいいらしいのだが、適正量にたどり着くまで片付けないでいたら結局適正量もわからない気がする。

先週から引き続き捨てる。
この社宅は、週二回家庭ごみの回収が来る。また写真を撮らないで捨ててしまったものもある。

f:id:lemurfrog:20150825082952j:image

IKEAの羽枕。
一度洗濯したのだが、乾かすのが難しい。なんとなく生乾きの匂いが残って使う気がせず、捨てる。


f:id:lemurfrog:20150825083045j:image

畳んであるけれども、インド綿のカーテン。
洗面所の入り口に目隠し替わりにかけていた。ふわふわして素敵なのだが、風でめくれる上透けるので目隠しの役割を果たさない。処分。

f:id:lemurfrog:20150825083341j:image

ダイソーで買ったバケツ。
夫の実家に帰省したとき、小物を洗うため間に合わせに買った。クリーム色の本体に茶色の取っ手が、今は好きではない。つけおき洗いには洗面器を使えばいいので捨てる。

f:id:lemurfrog:20150825083618j:image

当時の私に様々な霊感をもたらしたと思われる、暮し系の本。
去年からの一年で150冊ほど本を処分した。それだけ購入したということだ。
十分自分の知識となるくらいに読み込んだと思うので、これらも古本屋に行ってもらう。


シンプルな暮らしというのは、厳選した好きなものだけに囲まれる暮らしというけれども、好きなものがたくさんある人はどうするのだろう。うちの家族は4人いて、それぞれの好きなものも必要なものも全て尊重したら、結局部屋はごちゃごちゃとしたままだ。
もちろんそれが悪いということでもない。人が心地よいと感じる空間は、その人その人で違うものだ。
ただ、ホテルのようにこじんまりと清潔な部屋に暮したいと思うなら、好きなものを厳選するというよりは、自分の手に負えないものはすっぱり諦めることが必要になってくる。
先だって捨てた鉄の燭台はかれこれ20年以上も大事にしてきたけれども、和蝋燭を社宅で使う機会もなく、使ったからといって素敵な空間になるわけでもなく、私には使いこなせないアイテムなのだと気づいて、好きだけれどもお別れをした。後で後悔するかと思いきや、晴れ晴れとした気持ちになった。